ごきげんよう、ミヤビです。
今回は、少し暗い記事となってしまいます。
自殺、うつ、大麻…。
最近、悲しみの連鎖が続いているように思う。
これは、現代だからこその弊害ですよね。
この問題に対しては、根本的な解決はむずかしいと思う。
なぜなら、他人や社会を変えるのは無理ゲーだから。
「逃げる」、これに尽きる…。
そして、方向性が大事。
とはいえ、「逃げる→死」は意味不明。
思考と感情が飛躍しすぎです。
平和な世の中になるよう祈りつつ、記事を書いていきます。
なお、この記事は、noindexに指定しておりますので、Googleにヒットされることはありません。それに、コメントもできなくしております。
【事実】日本は、生きにくいと思う
「生きにくい」と感じる人はわりと多いハズ。
それは、「メンタルが弱いから」ではない。
僕的に、国民性と日本社会の問題。
なお、これらを変えるのはぶっちゃけ、無理ゲー。
なので、個人で変わっていかないと、キツイ。
そもそも、ウェルテル効果とは?
ところで、「ウェルテル効果」ってご存知ですか?
「若きウェルテルの悩み」の、ウェルテルです。
そして、ウェルテル効果は下記のとおり。
・自殺率は報道の後に上がり、その前には上がっていない。
・自殺が大きく報道されればされるほど自殺率が上がる。
・自殺の記事が手に入りやすい地域ほど自殺率が上がる。 wikipediaより
つまり、自殺報道があると、、、自殺する人が増える傾向にあるということ。
これは、歴史的にわりと事実。
特に、影響を受けやすいのが、若年層。
報道やSNSコメントが、悲しみの連鎖を引き起こす
今の時代は、情報の拡散がエグい。
SNSやニュースコメントは、うつや自殺への助長の塊ですね。
名の知れていない個人であろうと、インフルエンサーや有名人であろうと、批判コメントを見続けると、わりとメンタル崩壊すると思う。
そして、、、「マスゴミ」だと思う。
報道の仕方を見直していく必要があるハズ。
コメントは、できないようにすべき
結論、自殺記事に対するコメントやSNS発信は、AI判断で投稿できないようにするべき。
たとえ、「お悔やみ申し上げます」的なコメントでも、全面禁止にした方がいいハズ。
なぜなら、視覚に文字情報が入るから。
心理的に負の影響を与えかねない。
そんな思いは、心の中で納めておけばいいハズ。
一つのメッセージが世界中に拡散するわけなのだから、悲しみの海になる。
悲しみの海は、青の渦に沈みこむハメになる。
YouTubeやtwitterの炎上を見ても明らか。
実際に、匿名批判が原因で、自殺する人は少なくない。
国民性と日本社会の問題
結論、日本人の国民性と日本社会に問題がある。
日本人の国民性には、厄介なところがある。
たとえば、、、
- 他人を、褒めない
- 大人数で、陰口をたたく
- マウントを、とる
義務教育からこんな感じだから、社会がおかしくなっていく。
あと、他人に期待しすぎること。
期待が裏切られると、みんなでたたく。
そして日本社会は、、、案の定ヤバイ…。
(直接的な繋がりはないかもですが…)
- 満員電車で、通勤
- 仕事終わりの、上司の誘い
- 他人を蹴落としてまで、出世
上記は、ほんの一部ですが、今の日本社会に明るい未来は見えにくい。
すべて、ストレスの原因になる。
ひいては、うつや自殺につながってしまう。
どう、個人が変わっていくのか…
人生に絶望するのは、無理に一人で解決しようとしたり、その環境に留まってしまうから。
つまり、、、
「逃げ道」が見えない人が多いということ。
「逃げたら、負け」と思い込んでいるということ。
- 子育てがつらい:夫は仕事を辞めてまで、妻をサポートすべき
- 仕事がつらい:辞めても、死なない
- 人生がつらい:海外に、逃げましょう
日本人は、「それは、甘えだ」「逃げだ」という。
「俺の時代なんか、ブン殴られながら仕事やっていたよ〜」「セクハラなんて当たり前だよ」「ここで逃げたら、一生逃げ続ける人間になるぞ」
今の時代、そこに耐えても、人生はゆたかにはならないことに気がつき始めている。
でも結局、社会は平気で裏切ることを薄々気づいているのにもかかわらず…。
人は、いづれ死ぬ
人は、いづれ死にます。
ここには原則、抵抗できない。
必死に生きるか、必死に死ぬか
「ショーシャンクの空に」という映画の名言です。
そして、僕が思うこと。
「必死に生きている人間だけ、必死に死ぬ決断ができる」です…。
自ら命を断つのは、人生を必死に生きた証拠。
逆にいうと、必死に生きていない人は、自分で死ぬことはできない。
苦しんで、悲しんで、もがきにもがいて、それでも未来に希望が見出せない、そんな心理状態になってしまうのが「今の日本」のような気がする。
とはいえ、いつの時代でも「死」からは目をそらすことはむずかしい。
感情がある以上、「死」は友達…
きっと、順番がある
「自殺」には、何か順番的なモノがあると思う。
自分の役目を果たし終えたら、それが「順番」ということ。
でも、選ぶのは誰でもなく、自分自身ですよね。
どっちが正しいかなんて、誰にもわからない。
選ぶのは、あなた。
死ぬ前に、逃げよう
「今がつらい→死ぬ」って、思考が飛躍しすぎな気がします。
まあ、それくらい追い込まれている気持ちはわかりますが。
ポケモンの戦闘シーンでも、「逃げる」という選択肢がありますよね。
成功者は、基本、逃げています。
僕も、わりと逃げています。
僕は国家公務員のとき、一時期仕事がつらすぎて「死にたい」と思っていました。
でも案の定、死ねなかったんですよね。
なぜなら、必死になれなかったから。
仕事が辛くても、クビにならないし、給料もわりともらえていましたし、なんだかんだいうと日本はイージーだなと思っていました。
別に、学校とか民間企業でも同じですよ。
つらいかもですが、ぶっちゃけイージーな世界です。
今はコロナで経営がキツイとか仕事がないとか思うかもですが、わりと「撤退」の判断って重要だと思います。
「巨人の世界」や紛争やテロ、飢餓や病気で苦しんでいる世界の方がよっぽど、残酷ですよ。
というわけで、日本は余裕です。
逃げても、死にません。
市役所に行って、ちょろっと手続きすればOK。
ニートになり、暇な時間で好きなことでもどうぞ。
はい、というわけは今回はここまで。
僕たちは、なぜを追求したくなりがち。
でも、辞めましょう。
どうせ、世の中では「なぜ記事」が量産されます。
無意味です。
その人は、記憶の中に残り続けます。
死者に意味を与えるのは、今を生きる僕たち。
アディオス。