ごきげんよう、ミヤビです。
「マナブの宿題」ナウです。
さて先日、下記のツイートをしました。
#マナブの宿題
「諦める力」読み終えました。諦める=前向きに諦めるということ。明らめるということ。「自分はこんなもんかと」見極めること。
・勝てる領域で戦う
・努力を娯楽化する
・横に走る人生を意識僕が国家公務員を辞めたのは「飽きた」から。
手段を変えて、目的を実現すればOK😌— ミヤビ@saitama (@Kiyomasa0181064) July 26, 2020
「諦める力」読み終えました。 諦める=前向きに諦めるということ。明らめるということ。「自分はこんなもんかと」見極めること。 ・勝てる領域で戦う ・努力を娯楽化する ・横に走る人生を意識 僕が国家公務員を辞めたのは「飽きた」から。 手段を変えて、目的を実現すればOK😌
日本では「諦めるのは良く無い」という風潮ですが、僕はもっと諦めてもいいと思う。
なぜなら、その努力が必ずしも報われるとは限らないから。
勝ち目もないところでひたすら努力しても、苦しいだけじゃないですかね。
練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。
— ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) June 11, 2010
プロが言っているので本当でしょう。
「諦める」うえで大事なのは、、、
- 手段
- 過程
- 方向性
上記3点をしっかりと見極めていれば、諦めることで人生を豊かにしてくれます。
これができていないと、単なる「逃げ」になります。
僕の心のモヤモヤを解決してくれた良書でした。
諦めることは成功への第一歩
諦める力をつけるうえで重要なことが、「逃げ道」を用意しておくことだと思う。
ところで「諦める」というワードは、一般的にネガティブな印象です。
しかし、ここで語源を辿ると、、、
諦める = 明らめる
「見極める」というニュアンスに近い。
さらに、「諦」という漢字は、「さとり」という意味があるらしい。
決して、ネガティブな意味合いではなく、ポジティブな意味合いを持つ言葉だとわかる。
「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにして良く理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」
諦めるとは、「挑戦」「始まり」と言い換えることもできるハズ。
手段:勝てる領域で戦う
負けるフィールドで戦わないということです。
「手段は諦めてもいいけれども、目的は諦めてはいけない」ということである。言い換えれば、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである。踏ん張って一番になれる可能性のあるところでしか戦わない。負ける戦いはしない代わりに、一番になれる戦いはやめないということだ。「どうせ私はダメだから」と、勝負する前から努力することまで放棄するのは、単なる「逃げ」である。
少なくとも、負けない戦い、虫の息でも死なないフィールドを見つけましょう。
たいはんの人は、継続できないことが意外と多い。
つまりそれは、ある意味「負け」であり、「諦めた」ということでもある。
そのフィールドで自分が継続できているなら、勝てなくとも少なくとも負けではないと僕は思う。
勝つことばかりに目が行きがちだが、いかに継続できることこそ「勝利」へとつながる。
FXに手を出す素人はバカだと思う
ほぼほぼ負けるフィールドであえて戦っているからですね。
なぜ負けるか、、、
- 画面の向こうにいる相手はプロ
- AIの台頭
- 感情に負けるから
僕自身も過去にFXをやっておりましたが、モノの見事にボコられました。
勝ち続けていても、あるときワンパンで負けました。
このとき「金融の知識もないザコい僕が、あえてこの世界で戦わなくてもいいのでは?」と気付きました。
早期に見切りをつけ、FXを諦めましたね。
ここで努力論とかを持ち出しても、わりと無意味だと思う。
FX以外にも稼ぐ手段はたくさんあるので、目的は変えず、勝てそうなフィールドを探しました。
過程:努力を娯楽化する
「楽しみつつ、努力する」これが近道ですね。
最高の戦略は努力が娯楽化することである。そこには苦しみやつらさという感覚はなく、純粋な楽しさがある。苦しくなければ成長できないなんてことはない。人生は楽しんでいい、そして、楽しみながら成長すること自体が成功への近道なのだ。
しかし「耐え難きを耐え」の精神が努力という人もいるが、そこに「楽しさ」があったほうが成長のスピードは早い。
- 読書を楽しみつつ、ブログで発信し続ける
- 料理を楽しみつつ、YouTubeでアウトプット
- 映画を楽しみつつ、英語力を鍛える
「努力=100%つらい」というわけでは決してない。
肩の力を抜き、程よくかつ楽しみつつ努力する、コレが大事。
方向性:横に走る人生を意識
時として、人生には「逃げ道」が必要。
万が一、今いる道が閉ざされてしまった場合、「人生オワタ」となり、思考停止になりやすくなる。
人には、自分が今歩いている道の横に、並行して走っている人生が必ずある。たとえば僕には、アスリートという人生のほかにも、普通の企業に勤めるビジネスパーソンとして生きる人生もあっただろう。もちろん、ほかにもいろいろな可能性があったはずだ。まずは、今見えているのとは違う人生があるということをわかっておくことだ。
そうすれば、「これをやめたら自分ではなくなってしまう」という、追い込まれた状況にはならないはずだ。もし、懸命に走っている道で成功する確率がほとんどないとわかったとしても、その横に走っている人生に移ることができるのだということを理解しておくべきだと思う。
さらに言えば、今自分が走っている人生とその横に走っているいくつかの人生は、俯瞰してみれば、同じゴールにつながる別のルートである可能性もある。直線的にゴールに向かう最短のルートもあれば、少し回り道かもしれないが、確実にゴールに到達するルートだってある。このことを意識しているだけで、何かをやめたり、諦めたりすることに積極的な意味を感じることができるだろう。
そのためには、人生の目標を明確にしておきたい。
- お金
- 労働
しかし、ココをなんとなくでやり過ごしている人が多い。
特に、社会に期待するだけで、自分では行動を起こさない場合ですね。
たとえば、一本の太い幹からいろんな方向に枝が分かれているように、その目標に対する選択肢を複数用意しておくと気が楽になる。
- お金→金持ちになりたい、物価の安い国で相対的に金持ちを目指す
- 労働→転職、副業、起業、海外移住
いづれにせよ、自分の頭で考え、自分の判断で行動することが大事。
今いるフィールドをあえて諦めることで、同じ目標に対するゴールにつながるのかもしれません。
今の社会は普通じゃないとバレてきた
ひと昔前では当たり前であったとされていることが、将来は通用しなくなっている。
- 終身雇用の完全な崩壊
- 年功序列も崩壊
- 年金制度も怪しい
- 公務員さへ怪しい→採用は減っていく
日本の未来に淡い期待をしても、あるとき政府は国民を選び、見捨てるかもしれません。
自分なりの「逃げ道」を今のうちから確保しておくことをオススメします。
最近の人は「日本少しヤバイかも」と薄々気づいています。
それでも国民は政府に淡い期待をするのですが、やはり自分たちで何か「逃げ道」を作っておいたほうが、よっぽど安心できるのではないでしょうか。
余談:僕が国家公務員を辞めた話
ぶっちゃけ、「飽きた」から。
裏がありそうと勘ぐられると思いますので、ザックリ述べておきます。
- 勝てそうになかったから
- こっそり副業もやっていたから
- 横の人生を意識していたから
あまり根拠のない自信というか、「勘」の要素が大きいです。
能力には生まれつきの部分があるが、「勘」は経験によってしか磨かれない。だから多様な経験、特に頭で考えてもどうしようにもならない極限の経験をしている人のほうが、ここぞというときに強いのではないだろうか。
辞めても「どうにかなるだろう」という思いと、「どうにかする」という決意がかたかったからですね。
過去を振り返ると僕は「ギャンブラー」だった
実際のギャンブラーではないですが、「勘」で人生を切り開いてきたことに偽りはないです。
- 高校時代:先生の推薦で、一番上のクラスに飛び級
- 大学時代:学部が合わなかったので、転部
- 社会人:民間、公務員どちらも経験
どれも、不安はありつつも、「勘」で勝負してきました。
その結果、自分にほどほどに勝ってきた人生だったのですが、ここで気づいたことがあった。
僕はズバリ、「飽き性」だなという事実。
- 飽きたから、やめよう
- 飽きたから、挑戦しよう
- 飽きたから、逃げよう
こんな感じです。
しかし、「僕ってこんな程度か」と自分を認めることができたのは、ここ最近のことです。
とはいえ僕は、手段、過程、方向性の3点をしっかりと見極めていました。
なので、ここを意識してないと、単なる「逃げ」になるわけで、消耗すると思います。
まとめ
「諦める」とは、自分の置かれた状況を明らかにし、自分はこんな程度かと悟ること。
そこで、、、
- 勝てる領域で戦う
- 努力を娯楽化する
- 横に走る人生を意識する
上記3つが「諦める」うえで重要である。
諦めることで人生を豊かにできる、そういう生き方もあるんだなと学んだ1冊でした。
というわけで、今日ここまで。
諦める力、大切です。
アディオス。